石田三成とは?

このエントリーをはてなブックマークに追加
格安SIM・格安スマホの楽天モバイル変えるだけで利用料金が半額から1/3に。
石田三成の逸話
ここでは石田三成公の人となりを語る、逸話の数々を紹介します。 ここに紹介する内容 は、すべてが信頼できる史料に記された内容ではありません。後世に創作された逸話も 多いと思われますが、三成公のイメージを理解する一助になると思いますので、そのまま  ...
石田三成を5分で!茶々との肉体関係?性格悪くて加藤清正とは不仲 ...
岡田准一「関ケ原」初日で中嶋しゅうさん悼む「中嶋さ...- スポニチアネックス- 43分前

■2018年4月07日
マリア・フェリックスの生涯、めっちゃ美人で最高の女優さんだった
マリア・フェリックスといえば、めちゃくちゃ美人の女優さんですね。 メキシコ映画の黄金時代をつくった女優のひとりと言われ、容姿も実力も最高の役者さんでした。 今回、マリア・フェリックスのかんたんな経歴、

■2018年4月03日
マヤ・アンジェロウの名言集
ここではアメリカで最も影響力のある黒人女性、マヤ・アンジェロウの名言を紹介していきますよ。   音楽は私の隠れ家でした。 音符の狭間に潜り込み、孤独に背中を丸めます Music was my

■2018年4月03日
マヤ・アンジェロウの生涯!詩人の名言から学ぶ人生
マヤ・アンジェロウといえば、アメリカで最も影響力のある黒人女性として有名で、全米で知らない人はいません。 彼女の名言から勇気づけられた人も多いです。というかアメリカ人全員といってもいいでしょう。 今回

■2018年3月27日
ハナー・グラスってどんな人?3分で知る偉人!
ハナー・グラスといえば、料理家です。 料理本を出してベストセラーになったり、イギリスに「カレー」を広めた人物として有名になりました。 今回、ハナー・グラスのかんたんな経歴、偉業は?について、紹介してい

■2018年3月21日
猿橋勝子ってどんな人?3分で知る偉人!
猿橋勝子(さるはしかつこ)といえば、地球科学者ですね。 アメリカの放射能汚染の発表と競い合い、そして認められ称賛された凄い人であり、女性の活動家としてのパイオニアでもあります。 今回、猿橋勝子さんのか

■2018年3月15日
ジョージ・ピーボディってどんな人?3分で知る偉人!
ジョージ ピーボディといえば、企業家で慈善家ですね。 その慈善活動はとても素晴らしく、あのビル・ゲイツやジョン・D・ロックフェラー、アンドリュー・カーネギーなどといった人たちもその意志を受け継いでいま

■2018年2月12日
アインシュタイン博士ってどんな人物?脳がふつうの人と違った!
アルベルト・アインシュタイン博士といえば、ベロをだした写真が印象的で、名前くらいならだれでも聞いたことがあるでしょう。 いわゆる相対性理論を発表した、めっちゃくちゃ凄い人です。 今回、アインシュタイン

■2018年2月07日
パウラ・モーダーゾーン=ベッカーってどんな人?3分で知る偉人!
パウラ・モーダーゾーン=ベッカーといえば、ドイツの画家ですね。 絵の世界では「表現主義」のパイオニアとして有名です。 今回、パウラ・モーダーゾーン=ベッカーのかんたんな経歴、どんな偉業がある?について

■2018年1月24日
ヴァージニア・ウルフってどんな人?代表作や遺書がすごいって?
ヴァージニア・ウルフといえば、女性の小説家ですね。 有名な作品はいくつもあり、現在でも世界中で読まれています。 今回、ヴァージニア・ウルフのかんたんな経歴、偉業は?について、遺書がすごい?について、紹

■2018年1月24日
モーツァルトってどんな人物?超スケベ説や代表曲、死因について
モーツァルトといえば、だれもが聞いたことがあるでしょう、音楽家ですね。 幼いころからから「天才」といわれ、数々の名曲を残しています。 今回、モーツァルトのかんたんな経歴、代表曲は?について、人物像につ

関ヶ原合戦で敗れた石田三成、処刑され血脈断絶はウソだった!大名と ...
岡田准一、音尾琢真に恨み節 撮影で腹を蹴り続けられ...- エンタメOVO- 24分前

■2016年9月02日
SMAP解散の「黒幕?」工藤静香が突然「饒舌」になった理由......? 「沈黙作戦」大失敗か
 SMAPの解散が決定し、その「元凶」として槍玉にあげられる木村拓哉。その"黒幕"という位置づけを世間からなされているのが、妻である工藤静香である。 退社した元マネジャーを中心に独立に向けて動...

■2016年9月02日
その価値は文句なしに「G1級」複雑に絡み合ったサマー2000シリーズ王者候補の「優勝条件」を徹底解剖!各陣営が最後の新潟記念にすべてを賭ける!
 今年のサマー2000シリーズもいよいよ残すところ、今週末の新潟記念(G3)だけとなった。 特に今年はこのサマー2000シリーズ最終戦に優勝のチャンスがあるメンバーが集結。未だ優勝馬が見えない...

■2016年9月02日
【重賞展望・新潟記念(G3)】サマー2000シリーズ最終決戦に「夏の王者」を狙う好メンバーが集結!栄冠を手にするのは一体どの馬か!
2015新潟記念(JRA公式サイトより) 札幌記念(G2)に昨年の年度代表馬モーリスが出走した影響もあるのだろうか。 4日に開催される新潟記念(G3)には例年にない好メンバーが集った。サマー2...

■2016年9月02日
あのディープインパクト産駒の1億円馬が強制引退?3歳未勝利戦の悲しき現実と裏事情
 今週で夏競馬も終わりいよいよ来週からは中山、阪神開催の秋競馬がスタート、多くの競馬ファンにとって待望の競馬シーズンが始まる。スプリンターズステークス、菊花賞、天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念と...

■2016年9月02日
弁護士もオフィスワークもサービス業の仕事も「なくなる」恐れ…機械による代替が加速
「Thinkstock」より 本連載前回記事では、AI(人工知能)、正確にはディープ・ラーニングに代表される機械学習の進歩によって、機械による雇用喪失が加速化するという時間的恐怖心が強まることはあ..

■2016年9月02日
ここ最近の公取委の「活躍」に重大な懸念…「市場独占=消費者に不利益」の大嘘
公正取引委員会庁舎(「Wikipedia」より/っ)「市場の番人」と呼ばれる公正取引委員会が存在感を強めている。インターネット通販大手、米アマゾンの日本法人に対し、独占禁止法違反(不公正な取引方法..

■2016年9月02日
入れ歯はこんなに素晴らしい!粗悪品蔓延で要注意、インプラントより衛生的?
「Thinkstock」より 歯にも耐用年数、つまり寿命があります。長生きをすれば、どんなに磨いていても結果的には一本ずつ失っていくものです。 厚生労働省による「平成23年歯科疾患実態調査」に...

■2016年9月02日
【大分県警隠しカメラ設置事件】で拭えぬ疑念と監視社会への懸念
隠しカメラ設置が発覚した別府署(大分県警HPより) 先の参議院選挙の直前に、大分県警別府署が、野党候補を応援する労働組合「連合大分」などが入る施設の敷地内に入り込んで監視カメラを設置し、建物に出入..

■2016年9月02日
野菜を食べないと人体に危険!食物繊維不足で大腸がん急増、絶対食べるべきリスト
「Thinkstock」より 日本人の死亡原因のトップは悪性新生物、すなわち「がん」です。その中でも、近年発生率が急増しているのが大腸がんです。 死亡数を見てみると、男性では肺がん、胃がんに続...

■2016年9月02日
初乗り410円タクシー、実は割高?なぜ運転手と乗客のトラブル増加が確実?
「Thinkstock」より 8月5日より、東京都内4カ所の乗り場で実証実験が行われている「初乗り410円タクシー」。現行の「2キロ730円」から「1.059キロ410円」となる初乗り運賃引き下げは、

■2016年9月01日
元KAT-TUN田口淳之介が芸能活動「再開」! 世間は賛否両論も、ジャニーズ事務所が「潰す」行動に出ない理由と「SMAPのモデルケース」になる可能性
 元KAT-TUNの田口淳之介が1日、オフィシャルサイトを開設。芸能活動を再開することが分かった。11月には初のシングル「Hero」の発売するようで、オフィシャルファンクラブの立ち上げも発表。「今..

■2016年9月01日
マンション、間違った地震対策&発生時の対応は危険!「近所力」が被害を大きく左右
大和ライフネクスト・マンション事業部事業開発部の丸山肇部長 マンションで被災したときに住民は何をすべきか。日本は東日本大震災、熊本地震などを経験し、さらに将来は首都直下型地震や南海トラフ地震などの..

■2016年9月01日
「なんだ、あの白いやつは!?」新潟記念(G3)に出走予定のベルーフが2歳馬にまさかの完敗!原因は「噂の2歳馬」の毛色?
姉のブチコ(競馬つらつらより)「なんだ、あの"白い"やつは......!?」 もしかしたら、歴戦の猛者でも"あの色"にはびっくりしたのかもしれない。 1日、ベルーフ(牡4歳、栗東・池江厩舎...

■2016年9月01日
抗アレルギー薬「アレグラ」を飲み続けると太る? <奇跡の妙薬>の効果と副作用の謎
【健康・医療情報でQOLを高める~ヘルスプレスより】薬局やドラッグストアで購入できる「アレグラFX」(久光製薬) 花粉症が軽く、ラクになる! アレルギー症状を抑え、副作用が少ない! つらいアレ...

■2016年9月01日
武豊が札幌2歳Sで「4000勝」を手に!? 騎乗するタガノアシュラが「期待大」な理由と、本人の「クールコメント」
 今週は夏競馬の「締め」ということで、土曜に札幌2歳S、日曜に小倉2歳Sと新潟記念と、重賞が3レース行われる。このレースが終われば、いよいよ秋のビッグレースへの道が本格始動することになるわけだが...

  • ※機械的に抽出しているため、必ずしも石田三成に関連のある画像ばかりではありません。
石田三成の画像や写真をYahoo!画像検索で見る

石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。
豊臣家家臣。
佐和山城主。
豊臣政権の奉行として活動し五奉行のうちの一人となる。
豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。
三成は多くのエピソードを持つ武将であり、それが三成の人物像形成に大きな影響を与えている。
ただし他の戦国武将同様それら「逸話」の多くは本人死後の江戸時代に記された書物(二次史料)にのみ載せられたものがほとんどであり安易に歴史的事実として鵜呑みには出来ない。
特に出世のため他人を陥れる器の小さい野心家として描かれた逸話が多いが、三成が江戸幕府の治世下において神君家康と東軍諸大名に敵対した仇役という立場にあった点は注意を要する。
近代に入ると渡辺世祐による『稿本石田三成』の刊行など、実証史学に基づいた奸臣三成説の見直しを中心に正確な三成像を探る研究が進められるようになった。
* 近江国伊吹山の観音寺(伊香郡古橋村の三珠院という説もあり)に、鷹狩りの帰りにのどの渇きを覚えた秀吉が立ち寄り、寺小姓に茶を所望した際、寺小姓は最初に大きめの茶碗にぬるめの茶を、次に一杯目よりやや小さい茶碗にやや熱めの茶を、最後に小振りの茶碗に熱い茶を出した。
まずぬるめの茶で喉の渇きを鎮めさせ、後の熱い茶を充分味わわせようとする寺小姓の細やかな心遣いに感服した秀吉は彼を家臣とした。
それが後の石田三成である、という逸話がある。
これが俗に「三杯の茶(三献茶)」と呼ばれる逸話である。
ただし、この逸話が載せられている史料が江戸時代のもの(正徳6年(1716年)成立の『武将感状記』など)であること、また三成の息子が記した寿聖院『霊牌日鑑』では三成が秀吉に仕えたのは18歳の時に姫路においてと記されていること等から、後世の創作であるとする説もある。
* 秀吉が開いた茶会において、一口ずつ飲み次へ茶碗を回す回し飲みがされた。
らい病を患っていた大谷吉継は飲む振りのみで茶碗を回そうとしたが、顔から出た膿が茶に落ちてしまった。
以降の諸大名は茶に口を付けるのを嫌がり飲む振りだけで茶碗を回していったが、三成は躊躇わず茶を飲み干した。
それ以降二人の間には厚い友誼が結ばれたという。
ただし本郷和人によると、この逸話の典拠は不明で、江戸時代に遡ることが難しく、明治時代のジャーナリストであった福本日南が明治44年(1911年)に刊行した『英雄論』では、三成ではなく秀吉が吉継の膿が落ちた茶を飲んだ話として記載されている。
本郷は「これがぼくが知っているものとしては一番古い。
もし何かソースをご存じの方、ぜひご教示下さい。
」と述べている。
* ある年の10月、毛利輝元から季節外れの桃が秀吉への献上品として届けられた。
三成は毛利家の重臣を呼び、「時節外れの桃とはいえ中々見事でござる。
しかし時節外れゆえ、公(秀吉)が召し上がって何かあれば一大事でござるし、それでは毛利家の聞こえも悪くなりましょう。
ゆえに時節の物を献上なされよ」と突き返したという。
心ある人は「もっともな事であり、三成のような才人こそ武人の多い豊臣家で公に最も信任されているのだ」と評したが、大半の人は秀吉の権勢を笠に着て横柄だと評したという(小早川能久『翁物語』)。
* 小田原征伐の際、三成は忍城攻略を命じられる。
三成は忍城が要害にあり、城方の兵糧の備蓄も十分である事を理由に水攻めを発案したとされてきて、堤防を築くが、これが豪雨による増水によって決壊するなど作戦は失敗に終わる。
『関八州古戦録』(1726年成立)などに記され、三成の戦下手の根拠とされる逸話である。
しかし天正18年7月3日付浅野長政宛秀吉朱印状『大日本古文書浅野家文書』21号文書 には秀吉自身が水攻めを指示したことが明記されており、三成は水攻めを望んではいなかった。また作戦実行にあたっては浅野長政の指示を仰ぐなど、三成は現地での作業を指揮するが、最終的な作戦の立案は豊臣秀吉が行っていたとされる。
* 『黒田家譜』(1688年成立)には以下のような逸話が載せられている。
文禄の役の時、三成・増田長盛・大谷吉継の三名が軍議ため黒田孝高と浅野長吉を訪ねたが、両名は囲碁に興じて三奉行と速やかに対面しようとしなかった。
これを恨んだ三成が秀吉に讒言したため朝鮮より帰国した孝高は秀吉の怒りを買い疎んじられるようになった、というものである。
しかし、文禄2年8月に秀吉が黒田長政に送った朱印状によれば、孝高が成敗直前に至るほどの怒りを買ったことは事実であるものの、原因は讒言ではなく秀吉の許可を得ずに帰国した孝高自身にあったことが判明している福岡市博物館編『黒田家文書 -本編 第1巻』 1999年、204号文書注解。
* 文禄の役出陣中に三成らの讒言によって帰国蟄居を命じられた加藤清正が、慶長元年(1596年)閏7月に起きた地震の際伏見城の秀吉のもとにいち早く駆け付け、これに感激した秀吉により処罰を解かれたとする説がある。
「地震加藤」で知られる逸話であるが『清正記』『清正高麗陣覚書』といった江戸時代成立の清正記系諸本を出典としており、清正自身の記した書状を含め当時の一次史料にこれを裏付けるものは無い。
清正が地震後の7月15日に発給した書状に伏見の清正邸が建築中であったことと、京から胡麻の取り寄せるようにとの指示が記されていることから、地震発生時清正は京にも伏見にも居なかったと考えられる。
* 慶長3年(1598年)に行われた蔚山城の戦いでの小早川秀秋の行動が軽挙であるとして三成が秀吉に讒言した。
そのため秀秋は越前への転封を命じられるも徳川家康の執り成しによって免れたとする説がある。
ただし出典は寛文12年(1672年)成立の『朝鮮物語』 であり、実際に小早川勢を率いて蔚山の戦いに参加したのは秀秋ではなく秀秋家臣の山口宗永であったうえに慶長三年一月十七日付小早川秀秋宛豊臣秀吉朱印状、越前転封も実現していることから史実とは考えられない。
* 前田利家の死後、加藤清正・福島正則らが三成を襲撃するという事件が起こり、家康の仲裁によって三成は奉行を辞し佐和山城に蟄居することになった。
三成が佐和山城への護送役を務めた結城秀康に「無銘正宗」を贈ると、秀康はこれを喜び、「石田正宗」と名付けて終生大切にしたという。
この「正宗」は三成が秀吉から拝領したものといわれるが、江戸時代の享保期に出版された書物『刀剣名物帳』では、毛利若狭守が所持していたものを宇喜多秀家が買い取り、三成に贈ったと記されている。
現在は東京国立博物館が所蔵(重要文化財、)。
* 関ヶ原の戦いの際、会津征伐に従軍していた諸大名の妻子を人質に取ろうとしたが、細川忠興の妻ガラシャに自害され、加藤清正・黒田長政らの一部大名妻子の逃亡を許すなど策は不完全なものとなった。
また、この処置が結果的に東軍諸大名の敵対心を煽ったとする評価もある。
しかし大名妻子に対する人質策は秀吉生存時の天正年間後期より政権の政策として用意されてきたものであって、三成個人の発案ではない。
また三成は慶長5年9月12日付増田長盛宛三成書状(『愛知県史資料編13』1019号文書)において大坂における人質の扱いが寛大であることに不満を漏らすと共に、人質を安芸宮島に移すことを提案しており、人質の処遇について一方的に命令出来る立場では無かったようである。
* 関ヶ原の戦いで敗走した三成は、自身の領地である近江国(滋賀県)の古橋村に身を潜めた。
初めは三珠院を頼ったが、その時、住職の善説より「何を所望か」と問われて、「家康の首が欲しい」と答え、善説を呆れかつ恐れさせたとされる。
その後、与次郎太夫という百姓の招きで、山中の岩窟に身を隠した。
与次郎はこの時、徳川軍による咎めの責任を一身に引き受けるために妻を離縁し、刑死を覚悟で三成を介抱した。
三成はこの義侠心に感じ入り、与次郎に咎めが及ばないよう、与次郎を説得して自分の居場所を徳川軍へ告げさせた。
徳川軍を代表して三成の捜索に当たっていた田中吉政は、近辺の村々に対し、三成を生け捕りにした場合にはその村の年貢を永久に免除する、生け捕りにせず殺した場合にはその者に賞金百両を与える、逆に三成を匿った場合には当事者のみならずその親族および村人全員に至るまで処刑すると触れを出していたが、最終的には与次郎が三成の説得に従って自首したため、村は虐殺を免れている。
捕縛された際の三成は樵の振りをして身には襤褸をまとい、兵糧米を少し持ち、破れ笠にて顔を隠していたが、田中の兵でかつて三成の顔を知っている者がおり看破された(『田中系図』)。
** この時、与次郎が死を覚悟で三成を匿ったのは、かつて古橋村が飢饉に襲われた際、三成が村人たちを救うために米百石を分け与えたことがあり、与次郎はそのことに深く恩義を感じていたためとされる。
** しかし他説では、三成が村人達に対し、「私がこのように逃れてきたのは、再び家康と一戦を交え、天下を統一する所存であるからだ。
天下統一の暁には、古橋から湖(琵琶湖)までの間を大きな平野となし、道は全部石畳にする」と言い、村人達はこの言葉に惹かれて三成を匿った。
しかし、隣村の出身で与次郎太夫の養子であった者が裏切って徳川軍に密告したため三成は捕らえられたとする。
これ以降、古橋村では他村から養子を取らない慣習ができたという。
* 家康に従軍した板坂卜斎は陥落した佐和山城に金銀が少しもなく、三成は殆んど蓄えを持っていなかったと記している(『慶長年中卜斎記』近藤瓶城編『史籍集覧』第26冊1902年、p66、寛永年間成立)。
* 三成が京都の町を引廻されている最中にお湯が飲みたくなったので、警護の者に伝えたところ、お湯がなかったので干柿を差出された。
三成は痰の毒であるから食べないと言って断った。
間もなく首を刎ねられる人が毒を断つのはおかしいと笑れたが、三成は大義を思うものは、首をはねられる瞬間まで命を大事にするものだ、それは何とかして本望を達したいと思うからであると言った。
(『明良洪範』『明良洪範』国書刊行会1912年、p467 亨保以降成立)。
* 三成は関ヶ原の戦いの数日後に捕縛されて大津城で曝されたが、このとき福島正則が馬上から「汝は無益の乱を起こして、いまのその有様は何事であるか」と大声で叱咤した。
三成は毅然として「武運拙くして汝を生捕ってこのようにすることができなかったのを残念に思う」と言い放った(『武功雑記』近藤瓶城編『続史籍集覧』第7冊1930年、寛文年間成立)。
* 関ヶ原の戦いの直前、三成は増田長盛と密談した。
三成は「五畿内の浪人を集めて兵力とし、家康に決戦を挑もう」と述べ、長盛は「いや、時節を待とう」と言った。
すると三成は苦笑いし、「生前の太閤殿下は貴殿と拙者に100万石を与えると言われたが、我々は分不相応ですと断った。
思えばあのとき、100万石を受けていれば今になって兵力の心配などする必要もないのに」と述べて長盛のもとを去ったという(多賀谷英珍『遺老物語』)。
以下の逸話は明和7年(1770年)成立の『常山紀談』を出典とする。
* 石田家中で行われた密議での話。
三成に対して家臣の島左近は「豊臣家のために決起するのであれば即断すべきであり猶予は不要でした。
しかし好機は逸してしまい、家康に味方する者も多く、当家の存亡は予測が出来ません。
ここは筋を曲げてでも今まで疎遠であった諸大名と遺恨なきよう親交し、時を待つのが策ではないか」と進言した。
これに対して三成は「一時の成功よりも、事が起きた後いかに平穏にさせるのかを考えるべきである」と受け入れなかった。
三成が来客のため場を離れると三成家臣の樫原彦右衛門は左近に向かって「あなたの言うことがもっともである。
松永久秀と明智光秀は悪人であったが決断力は人並みではなかった」と言った。
そののち、関ヶ原の戦いの前の事。
家康は島左近の動静を探るべく同じ大和の国出身の柳生宗矩を左近の許に送り込んだ。
二人の話が天下の趨勢に及ぶと左近はその密議の事を思い出して「今は松永や明智のような決断力と知謀のある人物がいないので何も起こらないでしょう」と語った。
* 家康の会津征伐に従軍しようとしていた大谷吉継は三成から佐和山城に招かれた。
三成は「豊臣のために上杉景勝と打倒家康の策を練っていた。
上杉が立った以上これを見殺しには出来ない」として挙兵の決意を語った。
吉継は「ならば秀頼公に命を捧げよう。
しかし大事にあたって気掛かりが二つある。
まず世の人は三成は無礼者であると陰口を叩く一方、家康は下々の者にまで礼をもって接するので人望がある。
次に石田殿には智はあっても勇足りないと見える。
智勇二つを持ち合わせねば事は成し遂げられないだろう。
毛利も宇喜多も一時の味方であって頼りならない。
家康の関東への帰路で夜討ちをかけておけば勝利は疑い無かったが、既に手遅れだ。
悔いても益は無いので、このうえは秀頼公ために戦う以外道は無い」と三成を諫めつつ挙兵に同意した。
* 家康は関ヶ原の戦いで敗れて捕縛された三成に面会した際、「このように戦に敗れることは、古今良くあることで少しも恥ではない」といった。
三成が「天運によってこのようになったのだ。
早々に首を刎ねよ」と応えると家康も「三成はさすがに大将の器量である。
平宗盛などとは大いに異なる」と嘆じた。
また家康は処刑前の三成、小西行長、安国寺恵瓊の3人が破れた衣服ままである事を聞き、「将たるものに恥辱を与える行為は自分の恥である。
」として小袖を送り届けた。
三成は小袖を見て「誰からのものか」と聞き、「江戸の上様(家康)からだ」と言われると、「それは誰だ」と聞き返した。
「徳川殿だ」と言われると「なぜ徳川殿を尊ぶ必要があるのか」と礼もいわずに嘲笑った。

引用:Wikipedia:データベース

石田三成のツイート

石田三成に関する動画

  • ※機械的に抽出しているため、必ずしも石田三成に関連のある動画ばかりではありません。

石田三成に関するみんなのツイート

このエントリーをはてなブックマークに追加
年月別メニュー
全てのキーワードを見る
新着キーワードメニュー

人気キーワードランキング